2010年06月23日

ブッダとそのダンマ

不可触民関連の本から始まり、ついに辿り着いた本。

仏教関連の本はそれなりに読んできたつもりですが、こんなに分かりやすく、心に染み込んでくるものは初めてです。
もっと早く出会いたかったと思う一方で、こういう真理は、いつ知っても遅くないとも思いました。
「もっと早く出会いたかった」というのは、これまでの後悔が起こるためでしょうね。
後悔は反省し、前に進めば、それで良いんだ。
私は仏教徒ではないし、これから先も仏教徒になることは無いけれど、この本に出会えて、本当に良かったと思います。

ブッダとそのダンマ (光文社新書)


目次
訳者まえがき
第1部 シッダールタ・ガウタマ=ボーディサッタはいかにしてブッダとなったか
第一章 誕生から出家
第二章 永遠の訣別
第三章 新しい光を求めて
第四章 さとりと新しい道
第五章 ブッダとその先駆者
第六章 ブッダと同時代の人びと
第七章 比較対照
第2部 伝導の第一歩
第一章 ブッダの偉大な思慮
第二章 遍歴行者の帰依
第三章 上流人の帰依
第四章 帰郷
第五章 帰依活動の再開
第六章 低階層者の帰依
第七章 女性の帰依
第八章 罪人たちの帰依
第3部 ブッダは何を教えたのか
第一章 ダンマにおけるブッダの位置
第二章 ブッダのダンマに関する諸説
第三章 ダンマとは何か
第四章 何がダンマではないか
第五章 サッダンマ(正法)とは何か
第一節 サッダンマの働き
第二節 サッダンマたるべきダンマは智慧を深めねばならない
第三節 サッダンマたるべきダンマは慈愛を深めねばならない
第四節 サッダンマたるべきダンマは一切の社会的差別を取り払わねばならない
第4部 宗教とダンマ
第一章 宗教とダンマ
第二章 述語的類似性がいかに根本的相違を隠蔽したか
第一節 再生
第二節 カルマ(業)
第三節 アヒンサー(不殺生)
第四節 転生
第五節 誤解の原因
第三章 仏教徒の生き方
第四章 ブッダの教え
第一節 家長への教訓
第二節 品性を保つことの大切さ
第三節 正しさについての教え
第四節 ニルヴァーナの教え
第五節 ダンマの教え
第六節 社会・政治問題についての教え
第5部 サンガ
第一章 サンガ
第二章 ブッダの語ったビクの概念
第三章 ビクの義務
第四章 ビクと在家信者
第五章 在家信者の戒め
第6部 釈尊とその同時代人
第一章 保護者
第二章 ブッダの敵対者
第三章 教義への批判
第四章 徳の唱道と悲観論への批判
第五章 友人と崇拝者
第7部 最後の旅
第一章 親しい人びととの出会い
第二章 ヴァイシャーリーを去る
第三章 入滅
第8部 シッダールタ・ガウタマという人間
第一章 その人となり
第二章 その人間性
第三章 好んだもの、嫌ったもの
結語
アンベードカルと『ブッダとそのダンマ』 ――山崎元一
『ブッダとそのダンマ』再刊によせて ――佐々井秀嶺


印象に残った部分がありすぎるのですが、その中からごくごく一部をご紹介。

ブッダは自分の教義を明確にする上でこれらの古い思想に独自のやり方で対処した。
(一)自分は何処から来たのかとか、何処へ行ってしまうのだろうか、また自分は一体何なのかなどといった推測にうつつを抜かすことを拒否した。(二)魂への諸説を捨て、それが肉体、感情、意志、意識のいずれとも同一化するという考えを否定した。(三)虚無的考えの総てを捨てた。(四)そのような考えは正道から外れていると批判した。(五)宇宙発展には既知の初まりがあるという説を捨てた。(六)神が人を造ったとか、ブラフマーの肉体から生まれたなどという説を否定した。(七)霊魂の存在を無視し否定した。


ブッダの教えで最初の際立った特色は、あらゆるものの中心に“心”をおいたことである。“心”は物事に先んじ、支配を造り出す。もし“心”を完全に把握すれば総てのことも把握できる。“心”は総ての働きを導くものであり、主人であり“心”そのものがその働きでできている。先ず専心すべきことは心の修練である。第二の特色は、我々の内外に起こる総ての善悪は心から生じる。悪や悪に関連し悪に属する一切の事柄は心から生じる。善についても同様である。閉ざされた心で語り行為すれば、牛に曳かれる牛車の車輪のように苦しみがついて回る。それ故心が澄み切っていることが宗教の核心でなくてはならない。第三の特色は一切の罪深い行為を避けよ。第四に真の宗教は宗教書の中ではなくその教えの実践であるとした点である。


人は皆過つことがある。しかし過ちには二通りがある。規範を持つものと持たぬものの過ちである。規範を持たぬものは過ちに気づかず、規範を持つものは過ちから立ち直ろうとする。何故か?そのものは自分が過ちを犯したことに気づいているからである。問題なのは過ちを犯すことよりむしろそのような規範がないことである。


人が何をなそうと、職人、商人、役人として世俗の生活を送ろうと、世を捨て瞑想一途の生活に専心しようと、それぞれの仕事に専念し勤勉に精一杯やることだ。水の中で育ち水に沈まない蓮のように、妬みや憎しみを抱かず人生を闘い、利己的にならず真実の人生を送るならば、間違いなく歓びと平安と祝福が心に宿るであろう


次にブッダは神の存在というものは益がないという問題についてこう語っている。彼によれば、宗教の核心は人間の神に対する関係にあるのではなく、人間対人間の関係であり、宗教の目的は、総てのものが幸せになれるよう人は他人にどう振る舞えば良いのかを教えることにある。
ブッダが神の存在というものに反対したもう一つの理由がある。彼は宗教的儀式、祭礼に反対した。それらが迷信の巣であり、彼の八つの正しい道の中でも最も大切な要素である“正しい見解”の妨げになると考えたからである。
釈尊が神信心を最も危険なものと考えたのは、そのような信仰は礼拝や祈祷を効果づけ、その効果づけは司祭僧を権威づけ、司祭僧こそが総ての迷信を作り出す元凶であり、“正しい見解”の成長を狂わすと信じたからである。


「完き人がこの世に現れる目的は、それが沙門であれどのような信仰を持つものであろうと、貧しい人、助ける人も守ってくれる人もない人びとの味方となり、貧窮に苦しみ、天涯孤独な孤児、年老いた無力な人びとを励まし、他の人にもそうするように説くことなのだ」


ブッダは殺そうとする意志と、殺す必要とをはっきり区別している。彼は殺す必要があるのに殺すことを禁じてはいない。かれが禁じているのは殺そうとする意志以外の何ものもない、つまり殺しのための“殺し”である。このように理解すればブッダのアヒンサー教義に混乱はなくなるだろう。それは誰しもが守れる健全な、道徳的教義であろう。殺す必要の是非の決定は各自に委ねられている。それ以外の誰にそれを委ねることができるだろう。人は叡智を持っており、それを生かさねばならない。


一滴一滴の水が水がめを満たす。少しずつ善を積むことによって福徳は生れる。善い行為は悔いを残さず、それによって生れた報いは喜びと満足をもって迎えられる。善をなすなら繰り返し行え。そしてそこに喜びを見出せ。善の積み重ねこそ喜びである。善行が実らぬ間は善い人ですら落ち込むものだ。しかし実りの秋には幸せの数々を見る。白檀、香、蓮華、ジャスミンの薫りよりも徳の香は匂う。香や白檀の薫りは微かだが、徳の薫りは最高に匂う。悔いを残すようなことをなすのは良くない。その報いは涙と悲しみで迎えられる。悪口をいい悪事をなすものは、苦しみが牛車を曳く牛の足に従いて回る轍のようにつきまとう。悪しき事に従わず、怠惰に陥らず、悪しき考えをめぐらせるな。善に向かって急げ、悪しき考えを追い抜け。善い行いに愚図なものは心で悪を楽しんでいる。悪しき行いをなすものですら悪事の報いがなければ幸せだと思い、報いが訪れれば痛い目にあう。情欲から嘆きと恐れが生じる。情欲から解放されている人には嘆きも恐れもない。飢えは最悪の病であり、存在(わが身)は最大の心痛である。この道理をあるがままに知るならニルヴァーナが無上の幸せとなる。自ら為し、自ら招き自ら培った悪はダイヤモンドが他の宝石をも壊すようにその行為者を砕く。余りに邪悪さが甚しい者は、敵がそうなればいいと望んだ状態に堕してしまう。蔦が巻きついた木を枯らすように。われわれ自身にとって有害な悪事は行うに易く、有益で幸せとなることを行うのは難い。


この息子たちは私のものだ。この財産は私のものだ、といって愚か者は悩む。自分自身が自分のものでないのに、どうして息子や宝がそうだといえるだろう。


ただ、この本に関して、まったく違和感が無いわけではありません。

ブッダは何よりも合理的かつ論理的であった。それ故他の条件が同じなら、合理的かつ論理的なものはブッダの言葉として受けとめることができる。第二にブッダは人の幸せにならぬようなことで議論することは決してなかった。それ故人の幸せに無関係なことでブッダに帰せられていることはブッダの言葉としては受け入れ難い。第三にブッダは、全ての事柄を二種に分けた。彼が確かだと思うこととそうでないことである。前者に入る事柄についてブッダは明確に述べているが、後者の場合は暫定的意見として述べている。ブッダの見解を正しく知る上でこのことを銘記しておく必要がある。

この部分が語っているように、この本はあまりにも完璧すぎる気がします。
悟りを得る以前から、ブッダが完璧すぎて、悩み抜き、考え抜いた部分が抜けているように思うのです。
それが何となく心の中で違和感を覚えますが、やはりこの本がすばらしいことに変わりはありません。
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posted by わけい at 20:55| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【オススメ本!】予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」読了。
Excerpt: 【オススメ本!】予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」読了。
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