2010年07月24日

戦史蕋江作戦(歩兵百九聯隊戦史刊行委員会・編集 非売品)

日中戦争中の一つの作戦である、蕋江作戦の概要、作戦連絡の詳細、作戦による死者の情報など、非常に詳細にまとめた本。

この作戦を生き残った方からお借りしました。

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蕋江(しこう)という字は、正確には草冠に止まるですが、この記事内では、当て字としてこれを代用します。

この作戦の概要については、湘西作戦(蕋江作戦の別名)-wikipediaより

1944年に実施した大陸打通作戦において、日本軍は連合国軍の飛行場の制圧による制空権奪取と日本本土空襲の阻止を目標のひとつとしていた。大陸打通作戦の結果、日本軍は各地の連合国軍飛行場の占領には成功したものの、連合国側はさらに奥地の湖北省老河口や湖南省芷江付近などにも飛行場を整備し、活発な航空作戦を継続できた。そのため、日本軍は、再び飛行場の制圧を目的とした老河口作戦と湘西作戦を実施することにした。湘西作戦では湖南-広西間の鉄道の確保も目的とされた。
1945年4月から、日本軍は第20軍(坂西一良中将)を投じて湘西作戦を開始した。序盤は順調に進撃できたものの、まもなく連合国側の激しい反撃が始まり、4月25日頃には前進困難となった。中国軍の装備はアメリカからの兵器供与により以前よりも改善されており、またアメリカ陸軍航空軍による支援爆撃や航空輸送も十分に受けることができたためである。中国軍は次々と増援部隊を集結させ、第3方面軍・第4方面軍・第10方面軍などの計28個師団で迎撃していた。険しい地形も防衛戦に適していた。他方、日本側は太平洋方面への戦力抽出で部隊の質がかなり低下していたうえ、制空権を失っているために昼間行動は困難、兵站線も空襲で寸断された。
5月9日、日本側の総指揮を執る支那派遣軍総司令官岡村寧次大将は、作戦の中止を決断した。日本軍は撤退を開始し、連合国軍は追撃に移った。各地で包囲を受けた日本軍は損害が続出したが、撤退の決断が手遅れになる前に出されていたおかげで、かろうじて脱出に成功した。6月上旬までに日本軍は出撃地点へと帰還した。
日本軍は以後、中国戦線で攻勢を行うことは無く、これが最後の攻勢作戦となった。中国戦線では、戦線縮小のために後退する日本軍と、追撃する中国軍との戦闘が終戦まで続くことになる。

かなりギリギリのところで、撤退を決断したため、この作戦を生き残った方は、多くいらっしゃるようですが、その分、心に傷を抱えていらっしゃるようです。

戦争体験者の数が減っていく中で、このような詳細なものに出会えたことを、どうやって活かしていけばいいだろうか?

<参考URI>
日中戦争-wikipedia
湘西作戦-wikipedia
人生の御負け-知らない物語:331最後の戦争の全貌:32
戦史 一号作戦/老河口・蕋江作戦3
あした蕋江作戦を経験した方へインタビューをすることになりました。 歴史には詳し...
歩兵第109連隊
Category:日中戦争の作戦と戦い-wikipedia
posted by わけい at 13:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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