2010年08月08日

宋姉妹―中国を支配した華麗なる一族

妻からオススメ頂いた本。

近代中国史の中で、非常に重要な役割、立場を果たした、三人の姉妹の物語。
教科書には載らないけれど、大切で、魅力的な事柄が満載されていました。



宋姉妹―中国を支配した華麗なる一族 (角川文庫)

「昔、中国に三人の姉妹がいた。ひとりは金を愛し、ひとりは権力を愛し、ひとりは中国を愛した・・・・・・」

歴史を語るとき、どうしても、「誰々がすごい」とか、「誰々が正しかった」という議論が出てきてしまいがちだし、仮にその個人の正しい部分と、間違っていた部分との議論が出てきても、人間くささが出てきません。
逆に、人間くささばかりが強調されてしまうこともしばしばです。

この本では、その全てが、バランスよく書かれていました。
みんな懸命に中国の将来について考えているし、それが正しいときも、間違っているときもある。
そして、人間くさい、愚かな部分も持っていた。
それが人間の本来の姿だろうし、そんなごく普通の人々が生きてきた結果が、歴史というものなのだろうと思います。

その歴史が、今の中国、台湾の魅力、課題となって現れてきているのだと思いました。

「歴史に"if"は禁物」ですが、「もし孫文がもう少し長生きだったら」、「もし日本が中国に侵入していなかったら」中国はもっと早く近代化していただろうし、民族自決の原則も、こんなに長い課題になっていないだろうと何度も考えてしまいました。

印象に残った部分。

「すべての革命は、社会の基本的変革をもってその基礎としなければならない。そうでなければ、それはかくめいではなく、単なる政権の交代にすぎない。・・・・・・いま、政策は時代の要請に応じて改変すべきだという人もいる。この主張にはいくつかの理はあるが、その変化は逆方向であってはならない。革命政党が革命性を喪失し、革命の旗を掲げながら、本来それを変革することを党の基礎としてきた社会制度を擁護する機関としてしまうような変化であってはならない。・・・・・・


日本の侵略は拡大の一途を辿っていた。「抗日」より「反共」を優先する蒋介石政権に対し、中国各地で抗議運動が燃え上がった。


中国共産党は国民党との抗日統一戦線を望んでいました。慶齢はもともと国民党の左派でしたが、共産党とも接近していました。合作のためには、国共双方から支持を得ている孫文夫人慶齢の力が必要だと、共産党は考えたのです」


「学校はどこにあるのかね。高速道路はどこだ?なきゃいけない鉄道網はどこだ?工業地帯や水力発電はどこだ?技術プロジェクトに使う熟練工は?有能な現場監督は?それから街行く人のどこに礼儀や品格があるのだ」
かれはそこで止め、美齢を見た。そしてまた続けた。
「中国は恥ずかしくないのか。かたや腐りきってぶくぶくと私腹を肥やし、かたやこぎたない豚のような姿をさらして貧しさにあえいでいる。人力車夫や人夫などは他の国の家畜どもよりもひどい暮らしだ」


三人の姉妹は、再びそれぞれの道を行くことを余儀なくされた。七月二三日、慶齢は声明を発表し、アメリカの人々に訴えた。
「すべての借款は、人民が承認する真に人民を代表する政府だけに貸して下さい。もしアメリカが、武器の供給と軍事援助はしないと明白に表明したら、中国の内戦は決して拡大しないでしょう。私はアメリカの友人たちに呼びかけます。あなた方はすべての軍事援助を阻止すべきです」


「慶齢は、共産党だけではなく、中道から左派までのすべての勢力が同意する象徴的存在でした。中国国内だけでなく国際的にも慶齢はそうした目で見られていたのです。彼女が権力を行使したことがなかったこともその理由です。そこで共産党は慶齢に、あなたは共産党員でないほうが革命にとって意味がある、とアドバイスしたのです」
周恩来はこう語ったと伝えられる。
「共産党員は中国に何百万人といるが、宋慶齢はただひとりしかいない。孫文夫人はひとりしかいない」
かつて抗日戦争のさなか、重慶を訪れた宗家の三姉妹の姿は、国民党と共産党の統一戦線のシンボルとして世界に喧伝された。そして今また慶齢は、新中国の統一戦線のシンボルとしての役割を要請されたのだった。


さらに共産党は、死を目前にした慶齢に、中国国家名誉主席というこれまでに前例のない地位を与えている。エプシュタインさんは、その政治的な意味合いをこう語る。
「宋慶齢を国家名誉主席としたことはいわば台湾へのかけ橋を意味していました。なぜなら台湾でも慶齢は国の父である孫文の夫人として記憶されているからです。いわば国の母なのです。この頃、中国は台湾との関係について、武力解放から平和的統一に政策を転換しようとしていました。慶齢は『一つの国家・二つのシステム』の象徴として、国家名誉主席の地位を与えられたのです。」
生涯にわたって統一戦線の象徴であった慶齢。
慶齢の名前は、その死後も、台湾海峡を隔てて相対する二つの政権の統合のシンボルとして掲げられることになったのである。


一九八八年一月二七日、国民党中央常務委員会は決断した。台湾出身の李登輝を国民党主席代行に選出したのである。台湾ではこの政治的攻防を「宮廷クーデターの失敗」、また「小さな無血革命」とも呼んだ。
台湾政治はすでに新しい時代へと踏み出していた。蒋経国は美齢帰国の前年から「蒋家のものの権力継承はない」とくり返し発言していたし、死の前年には台湾出身の本省人たちに向かって「ここはやがてあなた方のものになる」と発言するなど、外省人中心のそれまで政治からの転換を主張していた。そして台湾国内やアメリカからの民主化要求の強い圧力もあり、野党民進党の結成を容認したり、一九八七年には一九四九年以来続いた戒厳令を解除するなど民主化に先鞭をつけていた。そしてここに至り、ついに台湾出身の国民政府総統、そして国民党主席が誕生した。蒋経国の死は、蒋介石の死以上に、一つの時代の終わりを告げる出来事だったのである。


この姉妹については、映画化もされています。



宋家の三姉妹 [DVD]

<blog内関連記事>
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戦史蕋江作戦(歩兵百九聯隊戦史刊行委員会・編集 非売品)
「激流中国」
「激流中国」読了。
台湾入門。

<参考URI>
宋靄齢-wikipedia
宋慶齢-wikipedia
宋美齢-wikipedia

posted by わけい at 13:08| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Excerpt: 「激流中国」読了。 NHKスペシャルで放送された、同名番組を本としてまとめたもの。
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Tracked: 2010-08-08 13:45

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Excerpt: 台北に行ってきました。昨日、台北より帰国しました。 初めての台湾。 とても楽しい思い出ができました。 撮った写真が大量にありますw ひたすらpostしますね。
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Tracked: 2010-08-08 13:46