2011年10月17日

腕で歩く。



何度も涙がこぼれそうになった。

人生は何が起こっても、自分の心次第で、幸せで、エキサイティングで、楽しいものになる。

という、自分の人生観が全く間違っていないと自信をもらいました。

また、「神に愛されるとは?」ということを考えました。
苦労や苦難というのは、神様から与えられた、最高の恵みなのかもしれないと思います。

腕で歩く

目次

腕で歩く(パイオニア
地雷
砂漠
マーシャル
ルート66
ナイアガラ)
一歩ずつ(地獄からの生還
夢に向かって)


ボブ・ウィーランド。
私が彼を知り、この本を読もうと思うきっかけになったのは、たまたま観ていたTV番組で、「上岡龍太郎さんがマラソンについて語る時に、みんなが涙を流してしまう話がある」と、ある司会者が語っていたこと。
それがどんな話だったのか、その番組内では語られず、ググってみた。
で、↓のサイトが見つかった。

上岡龍太郎独演会のこと


三人目は、1986年のニューヨークシティマラソンを
4日と2時間48分で完走した男、ボブ・ウィーランド。
彼は、ベトナム戦争で失った下半身の換わりに、
シューズをはいた二本の手で、ゴールを目指して‘這った’。
既に撤収を始めていた大会本部のフレッド・ルボーのもとに、
ボブがまだ、コース上を「走っている」と連絡が入る。
「ボブのゴール無しにはニューヨークマラソンの成功はありえない。」
フレッドはボブのために、ゴールゲートを再度立ち上げる。
ゴールのあるセントラルパークに群集が集まる。
ボブの一歩一歩に声援を送る者、固唾を飲んで見守る者。
ゴールまであとわずかのところで、ボブが崩れ落ちる。静まり返る群集。
力をふりしぼり再び立ちあがる彼に、大声援が湧き起こる。
あと200m、100m、50m、10m、5m、3、2、1。
大観衆の喝采の中、ボブは42.195kmを’完走’した。


これを読むだけでも感動の震えが起こるのだけれど、もっと知りたいと思い調べてみると、この「腕で歩く」にたどり着いた。

ボブ・ウィーランドのプロフィール。

1946年、ウィスコンシン州ミルウォーキー生まれ。
少年の頃から夢はメジャーリーグの投手になることだった。ウィスコンシン大学在学中から注目され、大リーグのフィリーズと交渉中に徴兵された。
1969年4月、23歳でベトナムへ配属される。2ヶ月半後、サイゴン近郊をパトロール中、地雷を踏み、下半身を失う。
帰国後、1972年、ロサンゼルスの大学で体育教師の資格を取り、モデルの黒人女性・ジャッキーと結婚して新しい人生のスタートを切る。
1977年全米パワーリフティング選手権大会バンタム級で世界新記録を樹立するが、「靴を履いていなければならない」という大会規約により、失格。さらに出場権をはく奪される。
1982年9月、アメリカ大陸4500キロ走破に挑戦し、3年8ヵ月かけて達成。この間、彼が歩いたマイルに対して個人や企業から寄付を募り、自身の講演料の大半も含めて、アメリカ赤十字とワールドビジョンという非営利団体を通して、貧しい人たちに届けられた。
その後、マラソンやトライアスロンの大会に多数出場する他、TV出演を始め、全米の教会や高校などで講演をして、人々に前向きに生きる勇気を与え続けている。カリフォルニア在住。


これを見ただけで、読まずにはいられなくなると思うけれど、読んでみれば、もっと凄い。
そもそも、ベトナム戦争で心身に傷を負い、その後の生活に大きな支障をきたす人が多いということは、よく知られていると思う。
米兵だけで、約5万8000人もの死者が出た悲惨な戦争を生き残り、その後をボブ・ウィーランドさんはなぜ充実して生きることができるのか?
それはやはり、その心に答えがあるのだと確信する。そしてこれは、誰にでも当てはまることなのだと。


印象に残った部分を引用。

「足がなくてもパイオニアになれる、と思ったんだ。二本の腕で、アメリカを横断した人はいない。僕の姿を見れは、みんな何だってできると、勇気がわくだろう。そうだ、僕は人に勇気を与えることができるんだ、と思ったんだ」


ベトナムは旧ソ連、中国の軍事支援を受けて、超大国アメリカを破り、独立した。ベトナム戦争が自由と民主主義をかけた戦いだったとは、思わない。しかし、ボブから見れば、「自由と民主主義の国」アメリカのための戦いだった。徴兵を逃げず、両足を失っても、なお、誇りに思っている。強く、まっすぐなアメリカ人の一典型を、ボブの中に見る気がした。


「ベトナムのジャングルで、神に見放された、と最初は思った。が、やがて、生かされた、と思うようになったんだ。それから、前向きになった」とボブは言う。
両足を吹き飛ばされ、戦友に救われ、生きた。いや、神に生かされた。ボブの信仰は、足を失って、深まっていった。


「ゆっくり、急がずに。そして、比較しないで」。


ある兵士が腹を撃たれた。内臓が飛び出していたが、彼はまだ生きていた。
「助けてくれ」と彼が言った。その彼がショック状態に陥ったとき、私は、「どうやったらこれを腹の中に戻せるんだ」とぼんやり考えていた。何をしたらいいのか、わからなかった。いま考えると、いったいどうしてあんなに準備のないままに、戦場にいたのだろう。まったく理解できない。


戦いの中で努力はしてきた。現実を見失わないように、戦場という環境に適応するように。休みたくても休めず、疲労と戦い、敵に見つからないようにジャングルの中を移動しながら、私は戦争について考えた。それはすさまじい現実であるとともに、まったく現実ではない感じがした。私たちのほとんどは18歳から23歳で、ついこの間まではミルウォーキー、サンディエゴ、ロチェスターに住んでいるごく普通の若者だったのだ。


DOA(到着時死亡)。野戦病院の記録にはそう書き込まれていた。


シルベスター中尉も危険が迫っていることを感じ取っていたらしく、無気昧なホーボー森の手
前で、全貝に向かって慎重に行動するように警告した。
しかし、それは遅すぎた。私たちは、知らないうちに地雷源に足を踏み入れていたのだ。


日々生きているのが本当に奇跡だった。まるで一日中、死神と戦っているようだった。死神は私の命を狙い、落ち込ませ、私の人生はもう終わったも同然だと説得し続けた。
そんな侮日が続くうち、ある思いがとてもゆつくりと現れてきた。
あの運命の日、私を救ってくれた神は愛と慈悲、賢明さ、優美さに満ちていたのだ。
神は私に何かの役割を与えようとしていたに違いない。ならば、私にも何かできることがあるはずだ。必ずしもこれでスポーツマンとしての生命を絶たれたわけではない。


意識が比較的しっかりしている時、私は両親にあてて手紙を書いた。この事実は病院からでは
なく、私から彼らに伝えるべきだと思ったからだ。

親愛なる父と母へ

私はいま病院にいます。順調に回復しています。
みんなとても親切にしてくれています。
何も必要なものはありません。心配しないでください。
帰ったら、きっと父さんの仕事を手伝うことにします。

ボブより、愛をこめて

追伸どうやら、私は両足を失ってしまったようです。



私は合衆国に帰るのだ。脚はなくても、生きて。


退院すると、父の運転する車で家に向かった。
家に着いた。部屋に入る時、父がまたも車いすを押してくれようとした。
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「父さん。ありがとう、でも自分でできるから」
と言って私は車輪を力強く前進させた。
帰宅すると母は私の世話を焼き始めた。まるで自分の巣に帰ってきた子どものように私を扱っ
ていた。
話し合いが必要だ。それも早いほうがいい。そう思った。
私は言った。
「僕は大丈夫だよ。自分のことは自分でできるし、そ・フすることがとても重要なんだ。病院にい
る間に自分からは何もしないで過ごしている人たちを大勢見たけど、彼らは死んでいるのも同然
だった。
父さんと母さんに甘えて暮らしたら楽だろうけど、でも、僕は子どもじゃないんだ。身体障害
者でもない。ただ脚がなくなっただけの、なんでもできる一人の人間なんだよ」


退院すると、父の運転する車で家に向かった。
家に着いた。部屋に入る時、父がまたも車いすを押してくれようとした。
「父さん。ありがとう、でも自分でできるから」
と言って私は車輪を力強く前進させた。
帰宅すると母は私の世話を焼き始めた。まるで自分の巣に帰ってきた子どものように私を扱っていた。
話し合いが必要だ。それも早いほうがいい。そう思った。
私は言った。
「僕は大丈夫だよ。自分のことは自分でできるし、そうすることがとても重要なんだ。病院にいる間に自分からは何もしないで過ごしている人たちを大勢見たけど、彼らは死んでいるのも同然だった。
父さんと母さんに甘えて暮らしたら楽だろうけど、でも、僕は子どもじゃないんだ。身体障害者でもない。ただ脚がなくなっただけの、なんでもできる一人の人間なんだよ」


「僕は身体障害者の帰還兵なんかじゃない。僕は負傷した、そして脚がなくなった。でも、それだけなんだ。それが障害になるんじゃない。ただ、ちょっと不足した所があるだけなんだ」


「負傷すると人は罠にはまってしまうものなんだ」
「それはどういうことなんだい」
ウォーリーは知りたがった。
「自立できなくなる罠が仕掛けられている。必要以上に人を頼ってしまうと、自分の体や心を鍛えるチャンスをなくしてしまう。もちろん、助けが必要な人もいるけれど、それは別の話だ。
僕は自分の脚をなくしたことをそんなに深刻なけがとは思ってないんだ。たとえ深刻なけがをしている人だって、できる限りのことをして自分を表現したり社会に貢献できる機会そ与えられるべきなんだ」


私は古い予言のような析りを唱え始めた。
「神よ、私をお遣わしください」
すると驚いたことに、私の予定表は「成功への戦い」の講演目程でどんどん埋まっていった。これが私の待ち望んだ大きな転機だった。まもなく、週末になると決まってどこかへ出かけなくてはならなくなった。
新しい道が私の前に開けた。国中のハイスクールで講演し、子供たちとじかに接し、彼らによ
い変化をもたらすことができる機会ができたのだ。


「じゃあ、車いすから降りてちょっとやってみたらどうだい。失うものはない、得るものがある
だけさ」


「ボブ、今やっていることをどう思う?」
私はこう答えた。
「僕には神がどう思っているのかだけが大切なんだ。神はこのことをお喜びだと思う」


「僕はこの国を横断し、僕の信条を人々に伝えたいんだ。そうすれば、お金を募ることだってできる。歩いたマイルにお金を出してもらうことで、企業や個人から慈善事業団体への寄付金を集めるんだよ。ベトナムにいた時、飢えている子供たちに何か食べさせてあげたかった。アメリカに戻ってきて、精神的に飢えている人たちがいることを知った。彼らの間に神の存在を広めたいと思っていた。
そしていま、僕は体も心も植えている人たちのために何かをしたいんだ!」


高速道路を歩いていていいことがひとつある。それはマイル表示があることだ。車に乗っているとあまり感じないだろうが、どのくらい進んだか正確にわかるのは、歩いている者にとって自分の位置を知る目安になるし、何より励みになる。
アイザックとトムがいなくなった後の毎日は、次のようなものだった。
1日の行程が終わると、そこにマークをつける。次の朝、その2、3マイル(4`)先まで小型トラックで行く。車いすで、マークをつけた所まで戻って、車いすを近くのやぶに隠す(危うく盗まれそうになったこともあった)。いよいよ東へと歩き出し、トラックの所にたどりつくと、またマークをつける。最後に車いすのところまで引き返して、回収したらその日が終了だ。
車の中で一人で眠る夜は、ジャッキーが側にいてくれたらといつも考える。冷え込みが厳しい夜は殊にそう思う。


「私はベトナム戦争で両足を失いました。その後始めたウェートリフティングも障害者という理由で大会には出場できなくなりました。私はそうした困難に遭う度に神の愛にすがり、そして救われました。神は決して私を裏切りません。神を意識することによって、命がいかに尊いものであるかということも知りました。命には限りがあります。だからこうして私やあなたたちが生きていることは、宝石や金や銀を得ることよりも貴いのです。いま生きていることが当たり前だと思ってはいけません。とっても貴重な時間です。一瞬だって無駄にするべきではないんです。常にベストを尽くすこと、そしていまこの時を感謝する気持ちをどうかもってください」


「どうして君はそう幸せそうなんだ。両足をなくして悲しくはないのか」
と、彼の方から聞いてきた。
「あなたは神の奇跡を信じますか」
「信じるわけないだろ。君はそんなものを信じているのか。両足をなくしたのに」
「ええ、信じてますよ。両足をなくしましたからね」
「きみはばかか」
「ばかといえば、キリストばかでしょう」
「今さらキリストなんて言うな。もう手遅れなんだよ。俺は死にかけてるんだぞ」
彼は声を出して泣き始めた。まるで心のどこかが壊れてしまったようだ。
「もしあなたが死んだら、あなたはどこへ行くと思う? 神の存在を受け入れれば、少しは楽になると思うんだけど」
長い沈黙の後、彼は考えてみるといった。


アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンが私の目の前にいた。大統領は自ら私のほうへ歩み寄り、握手してくれた。温かい手だった。私は感動してしばらく口がきけなかったが、大統領の穏やかな笑顔のおかげで緊張が解けた。私がスピリット・オブ・アメリカのTシャツをプレゼントすると、快く受け取ってくれた。
「あなたのこの困難な旅を成功させた強さはどこからくるのですか」
と、大統領は私に聞いた。
「私は普通の人間です。でも私には旅行中もいまも聖なる父がついています。神への信仰が私の支えだったのです」
大統領はにこやかにうなずいている。
こうしてレーガン大統領との会見は終了し、私たちはホワイトハウスを後にした。


「身障者、黒人、白人……という区別は、僕はいやなんだ。『身障者を助けなさい』とみな言うけれど、僕は『いえ、僕が人を助けたいんです』と言うんだよ。ぽくは皆と同じだ。たまたま、足がないだけなんだよ」。


「僕が人を助けたい」それが、彼の生きる意味であり、糧である。
「生きている」ということに感謝できれば、おのずとこんな気持ちになれると思う。

以前紹介した、「利他のすすめ~チョーク工場で学んだ幸せに生きる18の知恵」や「働く幸せ~仕事でいちばん大切なこと~」と通じる部分があると思います。

また、「両足をなくしたからこそ、神を信じている」という言葉には、信仰の本質があると思います。
私はキリスト教徒ではないですが、彼のようなセリフに、強く共感します。
これは、「奇跡は起こせる わが子を救うため、新薬開発に挑戦したビジネスマン」や「100歳の少年と12通の手紙」などでも感じたことです。
困難に出会い、精神的な意味でそれを乗り越えた時、その困難にこそ感謝できる。困難を与えられたことに感謝できるということは、まさに神さまを信じきることができるということなのだと思います。
生きていく上で、神を信じきれるということほど、力強い心の支えは無いと思います。



ところで、フォレスト・ガンプという映画が大好きなのですが、内容がそっくりではないでしょうか?
ひょっとすると、フォレスト・ガンプやその中の登場人物、ダン小隊長は、ボブ・ウィーランドがモデルなのかも知れないなぁと思います。

フォレスト・ガンプ [DVD]


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<参考リンク>
上岡龍太郎独演会のこと
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posted by わけい at 12:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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