2016年11月21日

ソルハ(帚木 蓬生)

アフガン政権崩壊に巻き込まれた、現地の子ども達。その姿を追ったドキュメント。


ソルハ




印象に残った個所を引用

P117
人間は、わたしが恵みをさずけてやると、知らぬ顔でそっぽを向く。そのくせ不幸にみまわれると、今度はうって変わって祈りばかりする。


P208
大部分は同じで、小さなちがいをもっている者どうしのほうが、むしろいがみあう。みょうなもんだ


P279
「もう遅いのだよ。カブールの町を出ていこうとする者は、タリバン兵に捕まる。投獄されたり、その場で射殺されるそうだ」
「どうして?」
ビビはおどろいて聞きます。
「タリバンは、ふつうの市民を盾に使いたいのだよ。ビビ、考えてごらん。カブールの町から一般市民が逃げだしたとすると、町はタリバン兵だけになる。そうすれば、アメリカ軍は、爆弾をどこに落としてもタリバンをやっつけられる。こんな簡単なことはない。ところが逆に、一般市民の中にタリバン兵がまぎれこんでいると、爆弾を落とすにも注意がいる。なるべく市民に犠牲を出さないようにしなければならないからね」


P331
タリバンについて
そうした内紛が続いている間に、力を蓄えて、突然表舞台に登場したのがタリバンです。<タリバン>という呼び名は、イスラム教の神学校で学ぶ人々をさす<ターリブ>から来ています。アラビア語で<学生たち>という意味です。アフガニスタンからパキスタンに逃れ、国境に住みついた難民集団の中には、三百以上の神学校があったといいます。ここで力をもったのが宗教指導者ムッラーたちです。ムッラーはもともとイスラム教に関する法学者の敬称です。しかしタリバンが登場するまで、ムッラーの存在は大きくなく、どこか世捨て人のような生活をしていました。コーフンのすばらしさを説く人くらいの、日陰の存在だったのです。
しかし難民収容所では、このムッラーが大きな力をもつようになりました。少人数の神学校をつくり、収容所で育った子どもたちを教えはじめます。教育といっても、単にコーランを朗唱するのみです。コーランの背景にあるイスラム文化やアラビアの歴史、科学技術や芸術などは、ムッラー自身も知りません。そのため子どもたちへの教育は、非常にかたよったものになりました。イスラム教でも、自分たちとは異なる派の人々とは一切妥協しないという、過激で熱狂的な側面だけが強調されました。タリバンを形成する主な人員は、このような難民出身のパシュトゥン人の若者です。これに、パキスタン国内に潜伏していた元ムジャヒディン、パキスタン軍兵士、それに他のイスラム教国からかけつけたアラブ人の若者も加わって、勢力をのばしていったのです。
タリバンの勢いはすさまじく、アフガニスタンの都市をつぎつぎと占拠していき、一九九六年にはとうとうカブールを占領してしまいます。ビビの物語にもあるように、初めカブールの市民は、タリバンのカブール市内入城に拍手を送りました。これで長年続いた内戦が終わり、平和を手にしたと思ったからです。しかしやがて、それが大きなまちがいだったことに気がつきます。タリバンが押しつけるイスラム教は、自分たちが教えられたイスラム教とはちがう、かつて見たこともないイスラム教だったのです。カブール占領後、タリバンはすぐに布告を出しました。男性市民には、四十五日の間にあごひげをのばさせます。女性には、頭からすっぽりかぶって顔を見せないブルカの着用を命じました。女性が外出するときには、親族の男性と一緒でなければなりません。一方で、元大統領のナジブッラーとその弟を殺害して道路につるし、敵対していた政府要人たちをサッカー場で公開処刑します。こうしてタリバンによる恐怖政治が始まったのです。物語の主人公ビビにつぎつぎと襲いかかる悲しみも、ここに端を発しています。しかしこのタリバン政権を承認する国もありました。東隣のパキスタン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦です。
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posted by わけい at 22:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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