2018年02月05日

止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記(松本 麗華 (著))。

松本智津夫(オウム真理教教祖・麻原彰晃)の三女・松本麗華さんの本。
僕の世代にとって、オウム事件というのは、最大の事件の一つだと思います。
それを一番近くで見ていた、同世代の女性の手記というのは、複雑なものがあります。
加害者の一人と数えられるかもしれません。ですが、彼女は言ってみれば、オウム事件で最たる被害者の一人とも言えると思います。
複雑な感情はありますが、同じ時代を生きる者として、応援したいと思いました。

目次
第1章 一九八三年、船橋の松本家
第2章 サティアンで暮らす
第3章 事件と父の逮捕
第4章 唯一の正大師となって
第5章 教団から離れて、社会へ
第6章 大学生活と死刑確定
第7章 大学卒業後
第8章 事件と父―オウム真理教とは何だったか




印象に残った個所を引用
P36
オウムは高学歴の理系エリートばかりで構成されていたようなイメージがあるかもしれませんが、わたしは決してそう思っていません。自分の接した「お兄さん」「お姉さん」たちは、社会で普通に生きていくことに何らかの疑問を抱き、あるいは社会に居場所がなく出家した人たちだ、という印象が強く残っています。
実際、DV被害者、被虐待児、精神疾患、発達障害、パーソナリティ障害など、社会で生きることがつらい人が少なからずオウムにはいたのです。


P54
今から考えると、宗教団体の問題や行政訴訟に詳しい弁護士が必要でした。警察や行政が本来の仕事をせず、それどころか法律を無視してでも教団を潰そうと動いている状況だったのですから、もっと多方面からの支援を受けることや、強力な弁護団が必須だったのです。しかし当時、そのような見方は教団内にありませんでした。
むしろ、バッシングを契機に教団が内に籠るようになり、なんでもオウム流で通すようになっていきました。つまり、社会との融和や協調を考えない風潮がオウム内に強まっていくのです。


P65
ただ、この「内なる声」は、今から振り返ると統合失調症などの精神疾患によるものと見ることができるのはないか、とも思います。父は明らかに幻覚、幻聴があり、一九九三年ごろからは、アメリカから毒ガス攻撃を受けていると本気で言っているように見えました。車に空気清浄機をつけ、ホテルに着けば、大まじめに目張りを指示しました。近くをヘリコプターが通れば、毒ガスだと言っていつも車に急いで乗り込んで退避するようになりました。


P68
一九九三年の秋に「コスモクリーナー」と呼ばれる大型の空気清浄機による毒ガス対策が始まり、一般には「ヘッドギア」と報道されたPSI(パーフェクト・サーベーション・イニシエーション)が生活の中で目立つようになってきました。
PSIができた当初は、父は「洗脳しているという誤解を与える」ので、人前での着用は注意するようにと言い、自分の写真もPSIを着用しているものは撮らないよう、弟子に指示していました。しかし、その言葉もいつの間にか忘れられ、みな、クルタにPSIという異様な外見で出歩くようになりました。あまりにも目立つため、わたしは「いいのだろうか」と思い、父に「本当にこんな格好で(店に)入るの?」と聞いたことがあります。父の答えは「かまわない」というものでした。わたしは、恥ずかしいけれど仕方がないとあきらめました。
このころ社会性がさらに失われていくと同時に、オウムの教義や価値観だけが正しいという雰囲気が強くなり、サマナが傲慢になっていたったように感じます。「救済してやる」「自分たちは選ばれた民である」といった思想が強くなっていきました。


P81
神奈川県警のせいで、死に目にも会えなかった。どうせ、警察が殺したに違いない。目の前で人が殺されるところをただ撮影していたマスコミを許さない。マスコミが取り囲んでいなかったら、マスコミが助ければ、まんじゅう(引用者注:村井秀夫氏のこと)は逃げられたかもしれない。警察はいつも建物の出入り口を警備しているんだと言っていたくせに、まんじゅうを助けようともしなかった。殺した人も何があっても許さない。泣いても泣いても涙は止まりませんでした。
母はまんじゅうのために、毎日食事を作り、メロンを切りました。それを父がまんじゅうにお供えしました。
−−怒っていられたのは、恨んでいられたのは最初だけでした。あとに残ったのは悲しみだけ。もしかしたら、まんじゅうは本当は生きているかもしれない。生きていたらいいな。そんなことを想像しながら眠りにつきました。毎日のようにまんじゅうの夢を見ました。「あ、お兄さん、やっぱり生きていたんだ。たちの悪い冗談はやめてよ」と言っていました。夢でのまんじゅうは明るく元気に笑っているのです。目覚めると涙が流れていました。
まんじゅう刺殺に関する映像や画像を見ると冷や汗が出て、緊張します。今でも、実はどこかで生きているんじゃないかと思い、涙が出てくることがあるのです。


P82
この時、青山道場前にいつもいるはずの警察官や村井さんを尾行していた公安警察は、なぜかそばにいなかったと言われています。警察官が駆けつけたのは村井さんが刺された後です。
(中略)
村井さんを尾行していた警察が、彼をなぜ助けなかったということが、公安警察に対する私の不信感を増大させました。
その後、徐さんと、彼に指示したとされる暴力団幹部の男性が逮捕されました。ところが、二人の裁判は思わぬ結末を迎えます。徐さんの判決は、動機の信用性は疑わしいと言いつつも、暴力団患部の指令に基づき殺害したという前提で懲役一二年とし、暴力団幹部の判決は、殺害指令があったという徐さんの供述が信用できないとして、無罪でした。
事件後しばらくして、村井さんの刺殺は、父を有罪にするための動きと関係しているのではないかと考えるようになりました。父が関わったとされる事件のほとんどは、村井さんから実行犯の人に話が伝わっています。つまり村井さんしか、本当に父が関わっているかどうかを知る人はいません。村井さんに「事件はすべて自分が首謀した。自分が尊師の指示と偽って実行犯を騙した」と言わせないために、彼は殺されたのかもしれないと思っています。村井さんはそれほどに大きな存在でした。


P84
強制捜査後、父は、逮捕されるかもしれないということで、警察が来ている日中は、隠れて過ごしていました。そのころ、長姉、次姉、わたしの三人が、何回か父に呼ばれました。父は真剣に、「逮捕された後は頼むぞ。きょうだい三人で力を合わせて。サマナの一人一人を大事にしないとだめだぞ」「教団は一人一人でできている。組織を見てはだめだ」
という話をしました。
この話は、このときだけでなく、わたし一人の時も含めて、何度も何度も言われました。父の子の話を聞いて、オウム真理教という形を守ることを考えるのではなく、サマナ一人一人を大切にしなければならないと子どもなりに理解しました。


P87
人間関係が壊れ、誰かともう二度と会えないのではないかと思うときに、眼前に立ち現れる映像があります。それは多くの警察官に囲まれて、父がわたしの前を連れて行かれる光景です。連れて行かれる父に、声をかけたい。でも怖くて、どうにもならなくなって、声をかけられない。どう頑張っても言葉が出ないのです。
しかし、これは、せめて見送りたかったというわたしの願望が作った映像です。実際に父が連れられて行くとき、わたしたちは部屋に閉じ込められたままで、父を見送ることはかないませんでした。


P88
部屋に籠ってから、どれぐらい経ったのでしょうか。部屋のなかでぼんやり座るわたしの耳に、部屋のドアをノックする音が聞こえました。何か父の情報が入ったのかもしれないと思いドアを開けると、顔に向けてフラッシュが焚かれました。気づくと警察官が三人、にやにや笑いながら目の前に立っています。
「名前は?サマナ番号はある?名前言って!」
写真を撮りながら聞いてきました。令状なしの写真撮影は違法です。無言のままドアを閉めながら、わたしはあのカメラを壊したいと思いました。それは激しい思いではなく、他人事のような感情でした。わたしの泣き顔は、そんなにおもしろかったのだろうか。どうして彼らは笑っていたのだろう。どうしてわたしは写真を撮られなければならなかったのだろう。怒る元気もありません。遠くからテレビでも見ているようで、現実感がありませんでした。


P91
アリを殺してしまったわたしに、命の大切さを教えてくれた父。目の見えない父が人を殺したと言われても、まったくぴんときませんでした。
また宗教的には世紀末に最終戦争などの何らかの理由により社会体制が変わると説かれていたので、いずれにしろ父は戻ってくるはずだ。わたしはすがるような気持ちで、そのように考えていました。


P92
「尊師によく思われたい。尊師に褒められたい−−」
これが、これらの大きな事件の構図において重要なキーワードだ、ということです。「尊師」を都合よく使った人も、父の言葉の文脈を理解できなかった人も、「尊師によく思われたい」という思いがあることでは共通していました。その思いは、わたし自身にももちろんありました。
(中略)
もちろん、父にも責任があります。規模が大きくなるにつれ、オウムの組織としての欠点が目立つようになったことは、これまでも述べました。大所帯になっていく過程で、統率におけるポイントや信徒・サマナ同士の関わりも変わってきたのですから、この点について、自身に盲目のハンデ−−弟子たちに言われたことが本当か確認のしようがないなど−−があることを自覚せず、自身とサマナの関係の変容に対処しないまま、規模拡大を指向したことは、父の責任だったと思います。


P103
眠気に耐えきれずに寝ると、容赦なく記憶が消えていきました。それも、消えるのは直近の記憶からでした。眠っては絶叫して目が覚めました。目覚めると、夜うなされていること、わたしの言動がおかしいことを長姉が心配してくれました。−−といっても、この記憶もおぼろげで、しっかりとは憶えていません。長姉が心配してくれる記憶が、その次の日には消えてしまう。わたしという存在は徐々に、しかし確実に崩壊していきました。
(中略)
しかし次の日も、また次の日も、同じことが繰り返されました。寝ているあいだに記憶が抜け落ち、また父の部屋に行き、人に聞いて父が逮捕されたことを思い出す。そのたびに父を失ったショックが心をえぐり、わたしの心はさらに壊れていきました。何度も繰り返し父の逮捕、村井さんの刺殺事件に直面する。まっさらな記憶に起こる衝撃。
(中略)
ある日、寝ているときに、父そのものの記憶が消されそうだという感覚に襲われました。父が帰って来るのが嬉しかったこと。父とお風呂に入り、パジャマを着てお布団に入ったこと。アリが生きていると教えてくれたこと……。全部、全部消えちゃう。今となってはただ一つの支えのお父さん。お父さんとの記憶がなくなっちゃう。そうしたら、わたしは死んじゃう。わたしは「いやだー」と絶叫して飛び起きました。このとき初めて、わたしは記憶がなくなることに抵抗したのです。
その後、記憶がなくなることはなくなりました。しかし、記憶の形態が変わった感覚があります。それまでの記憶は映像のように鮮やかだったのが、その後はピンぼけの写真のように、動きがないものとなりました。
わたしはこの本を書くために、毎日自分と向き合い、過去と向き合いました。この向き合う作業によって、わたしが自分を守るために封印した記憶を一つひとつ、思い出してきています。


P106
この本を書きながらようやく見つけたのは、一二歳のわたしです。父が逮捕されたときに自分の時間を止め、ただ父の帰りを待ち続けた、一二歳のままのわたしでした。わたしは父のいない現実と人生を受け入れることができず、ただ時間を止めて、幻想の中にいたのです。


P140
当時の日記を読み返し、自分がV6に会いたいと書いていたことに驚きました。V6の『愛なんだ』のパフォーマンスを見て、頑張っている彼らに感銘を受けたことを思い出しました。わたしは彼らに「死にたいと思う?死にたいときは、どうやって立て直しているの?」と聞いてみたかったのです。世の中の人は皆、死にたいのを我慢して生きていると思っていたので、楽しそうに踊っている彼らをすごいと尊敬していました。


P144
「マスコミは住民がオウムを恐れていると主張する。でもわたしには、理解ができない。住民は拡声器で、『子どもたちにサリンを飲ませろ』『殺せ』って言い続けていた。本当に恐怖している相手にそんなことが言える?それを子守歌に寝るんだよ。子どもたち(妹弟のこと)は」
と次姉は言っていました。


P150
「苦しいときこそ人の幸せを考える」という教えに違和感はありません。でも、自分たちが苦しんでいる事実から目を背け、他を救済するというのはどうなのでしょうか。救済する側とされる側をきっぱり分けるのは、違うのではないでしょうか。わたしが救済される側であり、その上で救済を考えるのではないかと思っていました。そもそも自分や正悟師たちの何が優れているのかがわかりませんでした。
支部活動を続けていることにも疑問がありました。今教団を拡大する必要があるのか。今は信仰を続けたい人だけが続け、拡大するための活動をしないほうがいいのではないかと考えていました。わたしには、みんなが迷い苦しんでいるように見えました。自身を見つめるのが怖いから、入信者を増やそうとしているのではないか、とさえ思いました。


P151
わたしは内心<生きていることそのものが罪だと言うなら、誰か殺してくれたらいいのに>と考えました。また、今まで生きてきたからこんなことになったのだという怒りが蓄積しました。<意気地なし!何で死ななかったんだ><今日も生きてしまった。いま死ななかったことをどうか後悔しませんように>と何度思ったことでしょう。


P154
ただ、錯乱していました。生きるとなると未来を考えないといけない。そのことがつらかったのです。生きるということ、死ぬということの矛盾に頭がついていけない状態でした。正確に言えば、死のうと思うときわたしはホッとしました。生きようと思うとき錯乱するのです。わたしには生きていく道が、どうしても、どうしても見えませんでした。
わたしは生と死の間をさまよい続けました。生きる道はどうしても見つからない。「今日生きて、生きていたことを後悔したらどうしよう」そんなことばかり考えていました。父が逮捕されてから、生きていて良かったと思えた日はありませんでした。


P164
二月一二にち、兼持さんたちが起訴されました。
この事態をどのように理解していいかわからず、もし誘拐が成立した場合はどうなるのかと、次姉と一緒に刑法を調べました。未成年者略取誘拐罪は、懲役三月以上五年以下でした(現在は七年以下)。また、未成年者が少年院に送られてしまうと更生したと認められるまで最長二三歳、もし「心身に著しい故障」があるとされたら最長二六歳まで出られないことがあるとわかりました。成年の犯罪より、未成年のほうが長く拘束されることがあるというのです。わたしは自分が未成年であることを嘆きました。
<「三女・アーチャリー」が出られるわけがない……。たとえ、わたしが真人間であろうと、絶対に認められないだろう>
一〇年近く自由を奪われる覚悟などできるわけがなく、自殺しようと思い詰めることもありました。しかし次姉が「先に逮捕された人たちもいる。わたしは逮捕されようと思う」と言うので、わたしも頑張ろうと、何とか自分の境遇を受け入れようとしました。死ぬ自由も奪われる逮捕勾留が、怖くて、怖くて、たまりませんでした。


P172
八王子の家に帰って初めにしたことは、着替えや便箋など逮捕された際に必要になる物をバッグに詰めた「逮捕セット」を作ることでした。<今回は、奇跡的に出られたけど、麻原彰晃の娘であるわたしにひあいつ何があるかわからない。突然のことだとビックリしてしまうから、用意しておかなきゃ>と。
それから一〇年以上、そのセットを解体することはできませんでした。


P172
松井先生は初対面のときから、オウムであるとか麻原彰晃の三女であるとかいったことではなく、一人の困っている一六歳の少女、単なる松本麗華という人間として、わたしを見てくれました。それまでのわたしは、オウムの中でも社会でも、麻原彰晃の三女という父の付属物でしかありませんでした。ところが、松井先生は父のことを「麗華ちゃんのおやじさん」と言ってくれたのです。父の付属物ではなく、わたしをひとりの主体として見てくれたのは先生が初めての人でした。


P179
頭を悩ます大きな問題があったとします。しかし問題というのは、実際には複数の要素がいくつも絡まり合ってできていることがしばしばです。そこで、その複数の要素を分割し、一つ一つを明らかにしていくのです。すると、悩ましいと思っていたことが、実はそれほどでもないことに気づくことがあります。


P182
先行きについての方向性を見失っていたある日、最後に願書を出した日出高等学佼の通信制課程から合格通知が来、そのまま入学することができました。わたしは香山さんと川田さんと、飛び上がるほど喜び合いました。


P186
このアルバイトは、一ヵ月の研修期間を終えると、一〇〇円時給がアップします。もうすぐ、給料アップだと心待ちにしていたある日、アルバイト先の社長から電話があり、唐突に「アルバイトをやめてほしい」と言われました。「気味が悪いわけではない」「アーチャリーに似ているという話が出て、履歴書を見たら……」「一生懸命してくれていたのに、ごめんな。自分も教育者だからこんな差別がいけないこともわかっている。でも、どうすることもできない」と言われました。とても悔しく、また悲しくもありましたが、解雇の理由をきちんと話してくれた社長さんには感謝の気持ちも感じましたし、こういう電話をするのはいやだろうなとも思いました。


P193
松井先生はときどきおっしゃいます。
「あなたが訴訟を起こして認められることはほとんどない。麻原彰晃の子だから。教団と関係があるといわれているから。しかし何もしなければ何も変わらない。『そうではない』と言わないと変わらない。自分の意識も変わらない。何回も何回も挑戦していかないと」と。
こういうことを経験するなかで、世間に流布した父の像と様々な報道とのあいだのギャップにも、思いを巡らせました。
週刊誌ではよく、父は教団内で、教祖であるという地位を利用して酒池肉林のしたい放題の生活を送っていたようなことが書かれていますが、わたしがそばで見た父は質素を好み、自分を律する人でした。
事実が書かれていると思った報道もなかにはありましたが、多くのことは憶測と事実を混ぜ合わせた内容だったのです。


P229
わたしがうつ状態になったのは、父の病気の状態を見たことが原因でした。前述のように、会うまでは、父と会いさえすれば生きる指針が見えるのではないかと思っていました。わたしは、ある意味で、父を万能な存在とし、父を救世主だと信じていたのです。少なくともわたしをこの暗闇の世界から救い出してくれるはずだ、と。
今の境遇に意味づけをしてくれるかもしれない。苦しい状況が変わらなくても、父から意味を与えられたら、わたしは百人力を得たに違いありません。心から父を信頼し、尊敬し、そして何より依存しきっていました。
でも、頼みの父は完全な廃人になっていました。「人」ではありませんでした。ずっと父と会ったら、何を言おう。優しい声で、わたしの名前を呼んでくれるに違いないとも夢想していました。しかし何度接見しても、症状は悪化する一方に見えました。父と言葉を交わしたいというわたしの望みは、数十回の接見中、一度も叶えられませんでした。


P260
わたしは今になって思います。帰依や神格化は、「尊師ならすべてわかってくれる」「何をしても尊師はご存じだ」「尊師がとめないから、尊師に許されている」という、自分の行動の責任を父に押しつけるための、免罪符だったのではないかと。神に人権はなく、どんなことをしても、それを許容することのみを求められます。


P266
事件も裁判も、わたしには耐えがたい、胸をえぐられる出来事でした。
わたしは父について多くの批判があることは、身にしみています。
それでもわたしは、父が事件に関与したのかについて、今でも自分の中で留保し続けています。父が事件には関わっていないと、信じているわけでもありません。父は事件に関与したのかもしれないし、していないのかもしれない。
父は弟子たちと主張が食い違ったまま病気になり、何も語ることができなくなりました。一方の当事者である父がきちんと裁判を受けられず、いまだに何も語ることができない以上、わたしは今後も判断を留保し統けるでしょう。
父が仮に指示をしていなかったとしたら−−そう考えると、わたしには無責任なことが言えませ
ん。
もし母が、妻として母親として、病気の父の裁判を責任をもって支えてくれていたら、わたしはまた別の考えを持っていたかもしれません。でも母は何もしませんでした。父を守れる者が子どもしかいないなら、わたしだけでも父を信じよう。父の言葉を聞くことなく、父を断罪することは絶対にしない。世界中が敵になっても、わたしだけは父の味方でいたい。


P268
ただ、こうは言えるのではないでしょうか。社会経験も少なく、物事に責任を取ることに慣れていないいない人たちか多かったからこそ、社会からのバッシングを受けたりハルマゲドンなどの終末思想が広がるなかで、より教団を先鋭化させ、社会性を見失っていったのではないか、と。


P269
わたしは自分の未熟さから、わたしの名が母にどれだけ利用されているのかに気づくまで、時間がかかりました。父はどうだったのでしょうか。父は目が見えず、書類を見ることも現場を見ることもできません。父との会話は、父のそばにいる少数の人に「独占」されます。「独占」した人は、「尊師の指示」と言い、下の人を動かしていくのです。
(中略)
「お父さんは娘さんたちの話を信じ、尊重しすぎて本当に困ったよ。お父さん曰く、子どもたちは何の意図も持たず、見たままに思ったままを伝えてくる。だから子どもは信じられると言うんだよ。大事な話でも、ぼくたちが伝える内容よりも、娘さんたちの話のほうを重要視されるからね……。お父さんは娘さんの話を大げさに受け取るほど、信じられる人がいなかった。やっぱり、目が見えないというのは、大きかったんだろうね」
わたしたちが伝えていたのは、サマナの誰々がヒゲを生やしているといった他愛のない話ばかりだったので、この話を聞いたときは驚きました。そういう話を参考にしなければならなかった父の立場を思うと、切なくなりました。


P276
いま、父は何も語ることができませんが、治療して話せるようにしてもらい、生きているうちにこのような事件が二度と起きないように、父に真実を明らかにしてほしいです。わたしは事件が何だったのか知りたいと思っています。父は、今生きています。父の証言が出たときに初めて、わたしは事件に関して頭の中のパズルが組み上がると考えています。


P278
わたしは、「事件」に関わったとされる人たちと面会を重ねていくうち、彼らが父の指示でやったのだと信じていることを受け入れるようにもなりました。しかしわたしには、村井さんや井上さんから言い渡される指示を、弟子たちは父の指示だと受け取り、父の気持ちを察したつもりになって動いたのではないだろうかとも、やはり思います。人の命に関わる重要なことを「本当にそんなことするんですか?」と直接父に確認もしない心理状態は、当時の教団を知るわたしから見ても特殊としかいいようがないからです。
とくにわたしの知る、不殺生の戒が徹底されていた教団で、確認もせず「人を殺す」という事態は、想像を絶しています。
教団では確認をするという習償があまりありませんでしたが、当時は幹部と言われる人たちは率先して父の側に行き父と話そうとしていました。
それだけ父に近かった彼らが、「人を殺せ」という命令について、誰も父に直接確認しなかったのは、なぜだったのでしょうか。
(中略)
死刑が確定しようとも、よい人でいたいという思いは持っているし、また指示に従っただだけだと思いたい気持ちは元弟子の人たちから伝わってきました。父への信仰心があるかどうかは関係ありません。また、もしかしたら、父と内的な体験を共有しているが故に、父の指示だったと確信しているのかもしれないとも。
「事件」に関わった人たちは、みな「尊帥の意思」のもと宗教的な善意から行ったと信じて疑うことはないでしょう。父は当時から弟子が極端なことをしても自分で責任を抱え込み、苦笑いして終わりでした。もし父が責任を問われるとすれば、こういう責任の所在をはっきりさせないところがあると思っています。


P282
わたしはオウムの中で一六年間、社会に出て一五年を過ごしました。自分の人生を俯瞰し、この三一年を振り返ったとき、不思議なことに気がつきます。わたしはサマナたちと逆の道をたどりましたオウムにいたわたしはオウムに行き詰まりを感じ、夢を持って社会を指向しました。高校、大学と社会で過ごし、今もかろうじて社会にいます。
オウムと社会を経験した結果はどうだったのかと問われれば、大差はなかったというのが、正直な感想です。社会はシステムがか整備されている分だけ、オウムよりいい、というところでしょうか。いえ、オウムにも多様性が認められたという良い点がありました。やはり、総合的に見て、大差がないというのが結論です。どちらにも一〇〇人いれば一〇〇通りの考えがあり、一〇〇通りの価値観がありました。オウムで「教義ではこれが正しい」という主張があるように、社会では「これが一般常識」というものがありました。それが厳密に共有されているかといえば、されていません。
(中略)
「共生すること」「他人の権利を脅かさないこと」が一番大切なのだというのが、二〇年間苦闘したわたしの結論です。他人に思いをはせ、尊重すること。そうすれば、悲しい出来事は起こりません。
オウムは「救済だ」という一方的な価値観の押しつけによって、多くの人の権利を奪いすぎました。わたしも同じように心を働かせて、他人の権利を奪ったことがあります。以前、わたしは自分と他人の境界がよくわかりませんでした。しかし、自分と他人の区別がついたことで、わたしはそのことの恐ろしさを客観的に感じられるようになりました。一方的な善という思い込みで他人の権利を脅かすことに恐れを感じるようになったのです。お互いを尊重しながら共生したい。わたしが希求しているのは、そういうことです。
(中略)
今でも価値観として理解できないことも多くあります。できるかとうかわかりませんが、理解できない者の存在を受け入れられる人でありたいと考えています。


P286
わたしにやさしくしてくれた人たちが、人を殺し、被害者の方々を苦しみに追いやってしまった。
この現実に、わたしは立ち尽くしています。

人気ブログランキングへ
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村
<blog内関連記事>
To Be Freedom@読書三昧: 死刑弁護人 生きるという権利。 http://dokusho-kiroku.seesaa.net/article/287329250.html
To Be Freedom@読書三昧: 人を助ける仕事 http://dokusho-kiroku.seesaa.net/article/141011964.html

posted by わけい at 10:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ユマニチュード入門(本田 美和子 (著),‎ ロゼット マレスコッティ (著),‎ イヴ ジネスト (著))。

介護の現場での「人間らしいケア」。
介護される人と介護する人、両者がお互いに気持ちよく、人間らしく存在するためには、「愛情」という心だけでなく、相手に伝えるための「技術」が鍵になるのだと言う。

目次
はじめに Section 1 ユマニチュードとは何か 1 ケアをする人と受ける人 2 その人に適したケアのレベル 3 害を与えないケア 4 人間の「第2の誕生」 Section 2 ユマニチュードの4つの柱 1 ユマニチュードの「見る」 2 ユマニチュードの「話す」 3 ユマニチュードの「触れる」 4 ユマニチュードの「立つ」 5 人間の「第3の誕生」 Section 3 心をつかむ5つのステップ 第1のステップ-出会いの準備 第2のステップ-ケアの準備 第3のステップ-知覚の連結 第4のステップ-感情の固定 第5のステップ-再会の約束 Section 4 ユマニチュードをめぐるQ&A ユマニチュードとの出会い 著者紹介




印象に残った個所を引用
P005
さまざまな機能が低下して他者に依存しなければならない状況になったとしても、最期の日まで尊厳をもって暮らし、その生涯を通じて"人間らしい"存在であり続けることを支えるために、ケアを行う人々がケアの対象者に「あなたのことを、わたしは大切に思っています」というメッセージを常に発信する−−つまりその人の"人間らしさ"を尊重し続ける状況こそがユマニチュードの、状態であると、イヴ・ジネストとロゼット・マレスコツテイは1995年に定義づけました。これが哲学としてのユマニチュードの誕生です。


P017
ケアのレベルを設定する
ケアを行うときには、その目的が次の3つのどれにあたろかをまず考えます。
@健康の回復を目指す(たとえば肺炎を治す)。
A現在ある機能を保つ(たとえば脳梗塞後の麻癖が進行しないようにする)。
B回復を目指すことも、現在ある機能の維持をすることも叶わないとき、できるかぎり穏やかで幸福な状態で最期を迎えられるように、死の瞬間までその人に寄り添う(たとえば、末期のがんの緩和
ケアを行う)。
(中略)
ケアのレベルを評価することで、本人の健康状態を変えることができるかもしれません。というのは、評価したレベルに応じたケアの方法や器具を選択すれば、本人の健康状態に変化を生じさせられるからです。もし保清・清拭の目的が衛生を保持することだけであれば、ベッドの上で行ってもよいかもしれません。しかしそれでは衛生は保持できても、ケア本来の目的は達成できません。


P027
睡眠を妨げない
睡眠は記憶能力の維持に欠かせません。たとえば学校の宿題で翌日に詩の暗唱をしなくてはいけないとき、夜寝る前に詩を復唱したほうが効果的です。
アルツハイマー病は認知と記憶の障害ですが、この障害があったとしても、睡眠は同様の効果をもたらします。記憶の保持が困難になった人でも、幸せな気分で眠りについたという思いは感情記憶にとどまりますから、就寝時のケアは大切なのです。
このことを理解していれば、夜間の安否確認のための訪問や、失禁していないかと確認するためのおむつ交換がどれほど悪い影響をもたらしているか想像できるでしょう。ユマニチュードを採用した施設では、睡眠を妨げる行為は、それがたとえケアという目的であってもできるかぎり排除しています。


P033
何が中心にあるべきか
ユマニチュードの理念は絆です。人間は相手がいなければ存在できません。あなたがわたしに対して人として尊重した態度をとり、人として尊重して話しかけてくれることによって、わたしは人間となるのです。わたしがここにいるのは、あなたがここにいてくれるからです。逆に、あなたがここにいるのも、わたしがここにいるからです。
わたしが誰かをケアをするとき、その中心にあるのは「その人」ではありません。ましてや、その人の「病気」ではありません。中心にあるのは、わたしとその人との「絆」です。


P043
「見ない」は「いない」
しかしどんなに否定的なメッセージてあったとしても、「相手を見る」以上は、当の相手が存在していること自体は認めています。
ここで強調しておきたいことは、「見る」ことに関する最悪な状態です。それは「相手を見ない」ということです。「相手を見ない」ということは、すなわち「あなたは存在しない」というメッセージを発していることにほかなりません。


P047
やってみようユマニチュード
ユマニチュードのテクニックに「目が合ったら2秒以内に話しかける」というのがあります。そんなことは当たり前だと思われるかもしれないですが、目が合わないと思っていた方と目が合うと、びっくりしてこちらも一瞬固まってしまうんです。
患者さんの立場になって考えると、ふと気づいたら目の前に人がいて、何も言わずにじっとこちらを見ていたら怖いですよね。攻撃しにきたのかと勘違いされてしまいます。2秒以内に話しかけなければいけないというのは、自分が敵意をもっていないことを相手に示すためなんだ、と知りました。
そういった一つひとつのテクニックが具体的に構築されているところが、ユマニチュードの優れた点だと思います。


P050
ケアをする人は、ケアを受ける人の正面から近づき、その視線をつかみに行くことが重要です。ただ
相手の目を見るだけではなく、視線をつかみに行き、つかみ続けるのです。意識して相手の視界の中に入るような動線を描きながら近づき、常に相手の視線をとらえるよう顔を動かします。


P059
反応してくれない人であっても、まず自分で身体を動かしてくれるように頼みます。常にポジティブな言葉を加えるのも忘れないでください。
それでも反応してくれないときには、ケアの予告と実況中継(オートフィードバック) を試みます。
(中略)
オートフィードバックによって、無言になりがちなケアの場に言葉をあふれさせることができます。これによって反応が少ない、あるいは反応してくれない人でも、言葉によるコミュニケーションの時間を7 〜8 倍に延ばせます。


P064
広い面積で、ゆつくりと、優しく
ユマニチュードの3 つ目の柱「触れる」ことについて考えてみましょう。「見る」「話す」と同様に、「触れる」ことにもポジティブな触れ方とネガティブな触れ方があります。
ポジティブな触れ方には、「優しさ」「喜び」「慈愛」、そして「信頼」が込められています。動作としては「広く」「柔らかく」「ゆっくり」「なでるように」「包み込むように」という触れ方です。これらはみな、ケアを受ける人に優しさを伝える技術です。
逆にネガティブな関係においてはどうでしょう。たとえば「怒り」や「葛藤」をともなう場面です。触り方は「粗暴」で「拙速」になり、接触面積は「小さく」なり、かける圧力は「強く」なって、「急激」な動作で「つかんだり」「引っかいたり」「つねったり」することになるかもしれません。
赤ちゃんに触れるとき、自分がどんな触れ方をしているか意識したことはあるでしょうか。赤ちゃんは、自分で立って歩くことも、言葉で欲求を伝えることもできない弱い存在です。そのため、わたしたちは知らず知らずのうちに、ある共通した技術を自然に使って触れています。すなわち、広い面積で、ゆつくりと、優しく触れます。これこそが、ユマニチュードで用いる触れ方でもあるのです。


P068
"つかむこと"が伝えるメッセージ
「触れる」という行為はすべて意味をともないます。認知機能が低下して状況を理解できない人にとって、「つかまれる」ことがどういう意味をもつかを考えてみましょう。
わたしたちは日常生活において、相手の手首や足をいきなりつかんだりしません。日常生活で誰かに手首をつかまれるとすれば、それは「どこかに連行される」というような非常にネガティブな状況
でしょう。しかしケアを行う際には、何の違和感もなく、相手の手首や足をつかんでいることがあります。
ケアを行うにあたって、このようなネガティブなメッセージを送らないためには相手をつかまないことが大切です。そうはいっても、ついっかんでしまいがちなので、日ごろのケアにおいては「親指を手のひらにつけて、絶対に使わない」と強く意識することが必要になってきます。


P071
同じ力で相手を押すとしても、手のひら全体を使うときと、指先で押すときとでは、単位面積あたりにかかる圧力が違ってきます。ケアをする際には、相手に接する面積をできるだけ広くとれば、同じじ力を使っていても単位面積あたりにかかる圧力を小さくすることができます。これにより、ケアを受ける人は痛みを感じることなく、むしろ心地よいという感覚を得ることができるでしょう。
ゆっくりと優しく自分の手を動かすときに、ぐいっと力を入れることは難しいものです。「広い面積で、ゆっくり、優しく」触れること、これがユマニチュードの「触れる」技術の核心です。


P085
寝たきりだからしょうがない、病気が進んでしまったのだからしょうがないのでしょうか。いいえ、そうではありません。順序が逆なのです。知覚遮断状態におかれた結果、彼らはいわば”疑似自閉症”の人のように振る舞うようになったのです。
人間らしい世界から疎外され、人として扱ってもらえなければ、その人たちは自分を守るために戦うしかありません。叫んだり、周囲にあるものを叩いたりするか、もしくはすべてをあきらめて閉じこもり、目を開けることも、言葉を発することもなくなります。
いわゆる問題行動や、低活動状態の高齢者が生まれる原因は、ケアをするわたしたちの側にあるのです。


P094
第1のステップである<出会いの準備>から始めましょう。自分が来たことを知らせ、”ケアの予告”をするプロセスです。
自分の来訪を、まず扉をノックすることで相手に知らせます。具体的には次の手順で行います。
@ 3 回ノック。
A 3 秒待つ。
B 3 回ノック。
C 3 秒待つ。
D 1 回ノックしてから部屋に入る。
E ベッドボードをノックする。
まず3 回ノックします。トントントン。3 秒待ちます。再び3 回ノックします。3 秒待ちます。反応がなくとも実は聞こえている場合も少なくありません。
2 回目のトントントンで待ってみて反応がなければ、最後にもう一度ノックして中に入ります。最後のノックにも反応がないときは、「失礼します」と声をかけて入室し、ベッドに近づいたら足元のベッドボードを1 回ノックします。
「わたしはノックして入室しています」という方もいらっしゃると思います。でも、ノックをしても、返事を待たずにさっと入ることはないでしょうか?


P101
合意のないまま行うケアは、「強制ケア」になってしまいます。「強制ケアを行わない」ことは、ユマニチュードの基本理念です。たとえそれが「ケアする人が相手のためを思って必要と考えるケア」であったとしても、強制的な印象をもたせたままケアを実行してはけません。


P101
時間がない?
時間を捻出することは、万国共通の永遠の課題です。もし勤務しているスタッフが1人しかいなければ「人手不足でユマニチュードは実践できません」と言われてしまうでしょう。2人配置されているところに行っても、答えは同じです。3人いたとしても「わたしたちにそんな時間があると思いますか?」と。
しかし誰しも忙しいのです。だからこう考えるべきではないでしょうか。時間がないことが問題なのではなく、その時間内にどんな行為を”選択”しているかが問題なのだと。
患者さんと一緒に歩く時間はない。はい、わかりました。でもパソコンに向かう時間はあるわけですね。ベッドサイドを整頓したりテーブルを拭く時間はあるんですね。わたしがもし自分の父のケアをお願いするとしたら、こう言うでしょう。「とにかきう歩かせてほしい」と。テーブルは汚くてもいいから歩かせてほしい。
つまりこれは選択の問題であり、ケアの優先順位の問題なのです。選択には常にリスクがともないます。リスクをとることを許さない社会であってはならないとわたしは思います。


P117
適性よりも技術
これは、ケアする人の適性や優しさの問題ではありません。ケアする人を批判しても何の解決にもなりません。認知機能が低下している人に、どのようにかかわるとうまく情報が届くのか、どのようにかかわると心地よさを感じてもらえるのかということは、誰もが技術として身につけることができ、実践することができるのです。
具体的には、「見る」「話す」「触れる」の基本的な技術を包括的に行うことが必要です。「見る」「話す」は比較的行いやすいのですが、「触れる」についてはこれまでの習憤から、無意識のうちに"心地よさ"よりも"効率"を重視した動きをしてしまいがちです。優しく触れる技術を体に覚えこませるには時間がかかります。


P118
洗濯機ではありません
保清は、ある目標を達成するための手段にすぎません。たとえばあなたが患者さんだとして、シャワーを浴びる理由はあなたが汚いからでしょうか?汗をかいたり、泥だらけになってるわけでないあなたをシャワーにお連れする理由は何でしょうか?
それは、あなたに喜んでほしいからです。清潔にするためではないのです。第一の目的はそこにはありません。
あなたに楽しいと思ってもらいたいとき、生きる勇気を取り戻してもらわないといけないとき、私はあなたを洗いながら、あなたを見つめながら、「あなたのことが大切です」と伝ます。これって保清でしょうか?
単にきれいにするだけなら洗濯機です。短い時間にツルツルに仕上げるなら、自動洗浄機かもしれません。でも看護師・介護士という職業は、そんな、とよりもずっとずっと大事な仕事をする人なんです。洗濯機なんかよりもずっとあなた方は大事な存在なんです。ずっとずっと大事!!

人気ブログランキングへ
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村
<blog内関連記事>
To Be Freedom@読書三昧: スクラップ・アンド・ビルド(羽田 圭介) http://dokusho-kiroku.seesaa.net/article/449612410.html
To Be Freedom@読書三昧: 40代女性マンガ家が訪問介護ヘルパーになったら(吉田 美紀子) http://dokusho-kiroku.seesaa.net/article/449612290.html
To Be Freedom@読書三昧: 超訳 ニーチェの言葉(白取 春彦 (翻訳)) http://dokusho-kiroku.seesaa.net/article/438907120.html
To Be Freedom@読書三昧: 「幸せ」の経済学(橘木 俊詔) http://dokusho-kiroku.seesaa.net/article/398169978.html
To Be Freedom@読書三昧: 最後だとわかっていたなら (原題『Tomorrow Never Comes』) http://dokusho-kiroku.seesaa.net/article/277415818.html
To Be Freedom@読書三昧: 老前整理 捨てれば心も暮らしも軽くなる http://dokusho-kiroku.seesaa.net/article/247009835.html
To Be Freedom@読書三昧: 僕の妻はエイリアン―「高機能自閉症」との不思議な結婚生活 http://dokusho-kiroku.seesaa.net/article/232572498.html
To Be Freedom@読書三昧: 河合隼雄のカウンセリング入門―実技指導をとおして http://dokusho-kiroku.seesaa.net/article/187728018.html
To Be Freedom@読書三昧: 人生計画の立て方 http://dokusho-kiroku.seesaa.net/article/169140366.html
To Be Freedom@読書三昧: 「介護入門」。 http://dokusho-kiroku.seesaa.net/article/131232144.html

posted by わけい at 10:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月12日

7つの習慣(スティーブン・R. コヴィー (著), Stephen R. Covey (原著), ジェームス スキナー (翻訳))

世界で最も売れたビジネス書の一つ。





目次
第1部 パラダイムと原則について
第2部 私的成功
第3部 公的成功
第4部 再新再生


印象に残った個所を引用
P35
人間の成長過程には、しかるべき順序とプロセスがある。子供はまず寝返りを覚え、座り、這うことを学んでから、はじめて歩いたり走ったりすることができるようになる。各段階ともそれぞれ大切であり、またそれぞれに時間がかかる。どの段階も飛ばすことはできない。


P46
インサイド・アウトの考え方では、私的成功が公的成功に先立つ。つまり、他人に対して約束をし、それを守る前に、まず自分自身に対する約束をし、その約束を守らなければならないということなのだ。また、人格よりも個性を優先することは愚かなことであり、自分自身を改善せずにほかの人との関係を改善しようとすることは意味のないことだと教えている。


P47
アウトサイド・イン(外から内へ)のやり方の結果として私が見てきたのは、被害者意識に悩み自由を束縛された不幸な人々であり、自分のうまくいかない状況の責任を周りの人や環境のせいにする人々であった。不幸な結婚生活では、相手がまず変わることをお互いに要求し、相手の罪を言い立て、相手を正そうとしている夫婦を見てきた。また、労使間の争いでは、信頼という土台があるかように行動することを強要する法律を政府に確立させようと、莫大なエネルギーが無駄に費やされるありさまを見てきた。


P57
依存している人は、欲しい結果を得るために他人に頼らなければならない。自立している人は、自分の努力によって欲しい結果を得ることができる。そして、相互依存をしている人々は、自分の努力と他人の努力を引き合わせて最大の成果を出すのである。


P59
しかしながら、相互依存とは、自立した人しか選べない領域である。依存している人が相互依存に入ることはどうしてもできない。なぜなら、彼らにはそれだけの人格と自制の力がないからである。


P118
本当の意味からすると、人が深い傷を受けるのは、他人の行動によるものではないし、ましてや自分の間違いによるものでもない。それにどう反応するかによって傷を受けるのだ。自分を咬んだ毒蛇を追うことによって、毒が全身を駆け巡り心臓に至るのだ。すくその毒を取り除く手段を講じることの方が、大切なのである。


P268
人間関係づくりに最も大切な要素は、私たちが何を言うか、何をするかということではなく、私たちはどういう人間であるのかということである 。


P273
忍耐することは難しい。主体性を発揮し、影響の輪に集中し、生き物を育てるように、「根の成長を見たいと思っても、花を土から引き抜いたりしない」ためには、それに耐え得るだけの人格が必要なのだ。


P358
「満たされた欲求は動機づけにはならない」のである。満たされていない欲求が動機づけになるのだ。人間にとって生存の次に大きな欲求は、心理的な生存である。それは、理解され、認められ、愛され、必要とされ、感謝されることである。
感情移入しながら人の話を聴くとき、それは相手に精神的な空気を与えることになる。その大切な欲求を満たしたうえで、はじめて相手に影響を及ぼしたり問題を解決したりすることに集中できるようになるのである。
この精神的な空気の欲求が、人生のすべての場面に影響を与えるのだ。


P378
人は理解されたい。だから、理解することにどんなに大きな時間の投資をしても、必ずそれを上回る時間の回収ができる。なぜならそれは、問題と課題に対する正しい理解と、人が深く理解されていると感じるときに発生する高い信頼残高をもとに、物事を進めることができるからである。

P416
本当に効果的に人生を営む人というのは、自分のものの見方の限界を認め、ほかの人のパラダイムと考え方に接することによって得られる、豊かな資源を活用する謙虚さを持っている人である。そういう人が相違点を尊ぶのは、その相違点こそが、自分の知識と現実に対する理解を増すものだと認識しているからである。
自分の径験だけでは慢性的にデータ不足になってしまう、と知っているからである。


P435
多くの人が運動する時間がないと考えがちだが、これは何ともゆがんだパラダイムだ。私たちは、「運動しなくていいほどの暇はない」と考えるべきである。


P450
有意義で人の役に立つ奉仕も、内的な安定性を与えてくれる。その意味からすると、仕事も大切な奉仕活動のひとつといえるだろう。なぜなら、仕事を通して意義ある貢献をし、創造力を発揮し、人の生活を豊かにできるからである。仕事のほかに、人知れず行う奉仕活動も大切である。この場合、あなたが行なっているということを誰も知らないし、知る必要もない。知ってもらうことが大切なのではなく、人の生活に貢献することが大切なのである。そのときの動機は、人に自分のことをよく思ってもらうことではなく、ほかの人の生活に良い影響を与えることである。


P477
あなたの家族で、何世代にもわたってつくられてきた悪い流れは、あなたの代で止めることができる。あなたは流れを変える人となり、過去と将来の接点になるのだ。そして、あなたのつくり出したその変化は、将来にわたって数多くの人々の人生に大きな影響を与えることだろう。


<blog内関連記事>
To Be Freedom@読書三昧: ひとつ上のGTD ストレスフリーの整理術 実践編 仕事というゲームと人生というビジネスに勝利する方法 http://dokusho-kiroku.seesaa.net/article/184835975.html
To Be Freedom@読書三昧: 小さなチーム、大きな仕事 http://dokusho-kiroku.seesaa.net/article/144599984.html
To Be Freedom@読書三昧: ストレスフリーの整理術。 http://dokusho-kiroku.seesaa.net/article/119315341.html
人気ブログランキングへ
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村


posted by わけい at 21:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする