2016年06月12日

一億総ツッコミ時代(槙田 雄司)

マキタスポーツさんによる社会批評。

この本が出てから、もう随分と経つけれど、むしろツッコミ社会は悪化の一途。。
ホントに嫌気がさすけれど、それなら、自分がベタなボケをすればいい。
自分自身の失敗を語り、ありきたりな日常を、大いに楽しもうと決意させてくれる。

一億総ツッコミ時代 (星海社新書)




目次
序章 バラエティ番組化した日本
第1章 「ツッコミ高ボケ低」の気圧配置が生む閉塞感
第2章 ツッコミが支配した空気にどう対処すべきか
第3章 現代社会はボケ不足
第4章 メタでソーシャルなセルフブランディングに疲れた人々
第5章 民主主義より資本主義より「面白さ至上主義」

印象に残った個所を引用。
P34
自分はツッコまれないように、つまりボケをやらないように気をつけながら、ツッコミを入れるわけです。ツッコミだけを入れていれば、安全な場所から他人を攻撃できます。そのことで自分の価値を高めようと考えている。リスクを最小限にしながらリターンを最大限にしたいと考えたネット民はそのような方法をとってきたのです。
私は「ツッコミ高ボケ低」の気圧配置は居心地が悪いと感じています。失敗に対して容赦なく批難を浴びせる。ツッコんでいれば楽だけど、何も生まれない。空気は悪くなる一方なのです。


P57
油断を許さない社会であり、みんな楽しみ方もわかっていない。とても息苦しい社会になっています。みんなが幸せに暮らせるようになるための「社会」なのにこれでは本末転倒です。もっと油断できる空間が人にとって必要ではないでしょうか?


P55
「しょうもない自分」を認めることができなかった時期は、精神的にとても疲れていました。自分を守って、他社ばかりツッコミを入れる。つまり「他罰的」だったのですが、それが跳ね返って自分に返ってくることもある。すると防御本能が働いて、さらに他罰的になる。さんざんツッコミを入れて、サッと逃げることの繰り返しでした。
だから、人とコミュニケーションができなくなります。限定的にしか人との付き合いができないのです。偉い立場の人間とか、もっと大きな視点に立っている人間に何か言われると、見透かされているようでドキッとしてしまう。それが嫌だから、逃げ回っていたのです。


P60
人間には「致し方ない」部分があります。そういう部分があるということを認めてあげるゆるさが、かつての社会にはあったように思います。それも「致し方なく」許していた部分があった。


P72
仕事でも何でもそうですが、上司からダメ出しをくらったり、叩かれたり修正されたり、自我を削られたりすることは喜ぶべきことでしょう。「自分らしさ」がなくなってしまうのではないかと思う人もいるかもしれませんが、そうではありません。むしろ、叩かれたり、削られたりすることによって「自分」が形作られていくと思うのです。


P73
一度、自分の「しょうもない部分」を認めてあげたほうが楽になるのです。そこからさらに進んで「しょうもない部分」を持つ自分を「ボケ」として周囲に提示し、周囲からツッコミを受けてみる。
これが「自我のダイエット」です。
私自身、ツッコミを受けながらそれを自分なりに整頓し、今の自分を形作ってきたと感じているので、これは有効な方法だとお薦めできます。


P85
大多数の人が、マスコミ的な視点で物を見ていて、しかもどんどんそちらに追随する。弱き者がいたら、盛大にツッコミを入れていく。その裏に何があるかも考えないで、大多数のツッコミ側にまわってしまう。これは、とても気持ちが悪い現象だと思います。
受動層に戻れ、という話をしたいのではありません。ネットを捨てて、情報を取るのをやめろ、ということではありません。さすがにそれは無理があります。
踊らされているだけではつまらない。もっと楽しみたいのであれば、中途半端なところで上澄みだけすくって、自分が翻弄されていることもわからないような状態からは脱したほうがいい。そう言いたいのです。


P95
自我が肥大化して、自意識過剰になっている人は、「本当に自分をすきになるナルシシズムに転がる人」と、逆に「自分を嫌いになる方向に転がる人」がいると思います。自分を嫌いになってしまうと風邪をこじらせたような状態になり、八方塞がりになって本当に生きづらい状態になってしまします。
それに比べたら、他人に「アホだなぁ」と思われるような自己愛の強い人の方が生きやすいでしょう。私は今、そのような人になりたいと思っています。


P112
人間的な魅力があれば、多少鼻毛が伸びていたっていいじゃないですか。個人的にはそう思うのですが、今の世の中、それはダメなんです。どんなに魅力的な人物でも、鼻毛が伸びていたら大減点。極端な物言いですが、その人の価値は認められません。
今は「減点法」の世の中です。人々の目線が減点法になっています。面白い、魅力的だと感じたものに対しても、ついつい減点ポイントに目がいってしまう。取るに足らない、どうでもいいような減点ポイントでも、見つかってしまったら評価は下がる一方です。


P119
日本人がこれだけお笑いというものが好きな国民なら、もう少し自分を笑うことを覚えるべきなのではないでしょうか?他者、弱者にツッコミの目線を向けるのではなく、自分にツッコミを入れる。そこで見つけた「しょうもない自分」「致し方のない自分」を愛してあげてほしいのです。
「人間なんてものは、しょうもないところも持っていますよ。自分だってそうでしょ?」
こういう目線を持つことができれば、とたんにユーモアにも深みが出るはずです。
他人にツッコミを入れ続けたり、他人をイジり続けたりするだけで、自分のことに関しては極端にディフェンシブな人は、やっぱりどこかいびつに見えます。
ましては、そんな人ばかりが集まっていたら、社会はギスギスするに決まっています。
自分をピエロ化している人は、見ていて可愛らしいですし、チャーミングだと思います。
お笑いの世界に置き換えてみると、出川さんや江頭さんの「チャーミングさ」は、見ている人たちに伝わっていると思います。私は「チャーミング仕事」と呼んでいるのですが、それを先頭切ってやっている芸人さんたちがいるわけです。それを見て、面白がっているのもいいのですが、出川さんや江頭さんを見ることで自分にフィードバックしたほうがいいのです。
誰の心の中にも、出川さんがいて、江頭さんがいる。それを理解しておくべきです。そっちのほうが楽ですし、視野も広くなります。


P121
死ぬ直前に、「他人にツッコまれた自分のあり方」は振り返ることができますが、「自分が他人に行ったツッコミ」を振り返ることはないでしょう。
「ツッコみ続けたまま、お前は死ぬのか?」
ツッコミ人間にはそういう言葉を投げかけたいのです。


P140
何ひとつまともに作れないときほど「こうありたい」とか「こうあらねば」などと思ってしまう。願望ばかりが強すぎて、理想ばかりが高すぎて、でもいざ実際に作ってみると、案外シンプルなものしか出来上がってこない。こうした状態はとてもつらいものです。
私も以前は理想ばかり高くて現実が付いてこなかったのですが、あるときから「これが今の自分のベストなんだ」と思うようにしたのです。すると、自分の能力が見えてきて、自分がかつて好きだったものを素直に思い出せるようになりました。
逆説的かもしれませんが、下手に「自分らしさ」なんてものを追い求めていると、「好き」が脇に避けられてしまうのです。「こうあらねば」という余計な自分らしさは純粋な「好き」という感情を邪魔することがあるのです。


P143
自分探しを自分の中で続けるのではなく、今の自分を世の中にぶつけてみる。そこで叩かれたり、削られたりしながら、自分を形成していくのです。そのままの自分を出すことは「ボケ」です。そしてまわりの「ツッコミ」を受けながら、自分という作品を作っていく。人はそうやって成長していくのです。


P160
理不尽なものに接する機会が減ってくると、今度は逆にイライラすることが増えていくということです。「思い通りになること」が増えていけば増えていくほど、思うようにならないことに出合うとストレスがたまっていく自分がいることに気付きました。負荷がかかっていないことに慣れすぎてしまうと、少し理不尽な目に遭っただけで大きなストレスを抱えるようになるのです。


P165
自分を笑うことができる、というのは大切です。
私自身、「自分を笑う能力」を身につけるまで時間がかかりました。お笑いを始めて、ずっと「笑わせたかった」けど「笑われたくなかった」のです。
「笑わせたい」という欲望が強すぎた。でも、それは罠でした。バリバリにとんがって、他人を笑わせている気分でお笑いをやっていた時代をいま振り返ってみると滑稽です。


P167
人は誰しも完璧ではありません。ハゲていたり、太っていたり、背が低かったり、運動ができなかったり、話下手だったり……。そういうコンプレックスを「ツッコまれまい」として防御していたら人生は面白くありません。そういう人のまわりに人は集まって来ません。そうではなくて、自分のコンプレックスをも受け入れ、「これが自分なんだ」と理解する。自らアピールする必要はないですが、変に守ろうとしないことが大切です。うまく「ツッコまれしろ」を作れる人が愛されるのです。


P169
面白い生き方。
なんだか息苦しい世の中で、一度きりの人生を歩むのであれば「面白い人生」がいちばんいいのではないか。「あー、面白かった!」そう言えたら、どんな成功者やどんな豊かな人にも「勝てる」のです。面白がっている人は最強なのです。


P172
面白い人生を歩むために必要なのは「ベタ」であり「ボケ」です。
前に結婚の話も述べましたが、恋愛というもの自体が「ベタ」で「ボケ」要素の強い案件だと思います。
恋愛も結婚と同じく、やっぱり理不尽で思い通りにならない部分がある。自分ではコントロールできないことだらけです。結婚・恋愛が億劫になっている人が増えてきているのだとしたら、それは自分がツッコミ側でいたい欲求、ボケやベタに対する怖さと繋がっているのです。


P179
「面白い」ということの中には、面白さを見つける作業が含まれています。
自分は何もしないで受け身のまま、誰かがずっと面白がらせてくれるものではありません。自分から積極的に面白がりにいかないといけない。「面白い」は自分で見つけにいかないといけないのです。


P181
息苦しい時代、閉塞感の漂う時代と言われて久しいですが、そういう時代にしてしまっているのは、私たち自身です。ツッコミからボケに、メタからベタに。その一歩からすべては変わり始めるのです。
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To Be Freedom@読書三昧: アナーキー・イン・ザ・子供かわいい:“父親に成る"ということ(槙田雄司)

posted by わけい at 14:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アスペルガー症候群の難題(井出 草平)

素晴らしい。
引用しはじめると、一冊丸ごとになってしまうので、やめておきます。
こういった研究が進められると共に、アスペルガー症候群というものが世に理解され、犯罪親和性が低下していくことを願うばかりです。

アスペルガー症候群の難題 (光文社新書)




目次
第1章 アスペルガー症候群の特性と犯罪
第2章 暴力行為の防波堤は家族
第3章 暴力アスペの問題と海外の研究
第4章 犯罪事件をふり返る
第5章 少年犯罪とアスペルガー症候群
第6章 アスペルガー症候群と医療観察法
第7章 精神発達病理学的視点とADHD
第8章 これから私たちが考えること
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posted by わけい at 14:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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